黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

ジョジョの奇妙な冒険のルーツ

 本日発売のウルトラジャンプ9月号で荒木飛呂彦が描く「ジョジョの奇妙な冒険」(以下「ジョジョ」)Part8こと「ジョジョリオン」が完結する。と言ってもシリーズ自体が完結する訳では無く、「JOJOLANDS(仮)」という新章が始まるとの事で、胸をなでおろした人もいるだろうし、やっぱりかと思った人もいるだろう。ジャンプの黄金期が終焉を迎えて早や二十五年、黄金期を彩った作品が皆連載を終える中、連載中断や掲載誌の変更がありながらも未だ連載が続いている「ジョジョ」は、黄金期唯一の生き残り、言わば生きる伝説である。…厳密に言うなら「BASTARD‼ 暗黒の破壊神」はまだ連載中断扱いだが、どうせほぼ息していないし

 今回はそれを記念して荒木飛呂彦によるこの作品を紹介したい

 

 魔少年ビーティー(83年42号~51号)

 荒木飛呂彦

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画像は文庫版

 作者は80年に荒木利之名義の「武装ポーカー」で手塚賞準入選、81年1号に掲載されてデビューにして本誌初登場を飾る。同年に増刊で読切作品の「アウトロー・マン」と「バージニアによろしく」を掲載、82年にはフレッシュジャンプ12月号で読切作品の「魔少年ビーティー」が掲載、それが連載化されて83年42号から開始したのが本作品である

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読切版「ビーティー」と「バージニアによろしく」はこちらの短編集に収録されている

 そんな本作品は社会的ダイナマイト一触即発的良心罪悪感ゼロ的猛毒セリフ的悪魔的計算頭脳的今世紀最大的犯罪少年であるビーティーが巻き起こしたり巻き込まれたりした身も心も凍りつくエピソードを描いたサイコホラーである。…なんだ、その修飾過剰でやたら的が多い形容詞は、とお思いの人もいるかもしれないが、これは私の言葉ではなく作中で言及されている言葉なのであしからず

 ところで、このビーティーという名前は本名でなくイニシャルである。余談だが、当時の私はイニシャルという概念が理解出来ない程に幼くて、ビーティーではなくてビューティー、つまり美少年という事だなと誤解していた。更に余談を重ねると、ビーティーの本名は作中では明らかにされていないが、作者が語るところによるとBuichi Terasawa、つまり「コブラ」の作者である寺沢武一から取ったという事である。が、この手の話は、「キン肉マン」の作者のゆでたまごというペンネームの内訳は嶋田隆司が「ゆでたま」で中井義則が「ご」だという話と同様、冗談半分で語られている場合が多いのであまり信用しない方がいい

 さておき、本作品は「ジョジョ」とは違って、登場するキャラ達は波紋や幽波紋、その他超常的な能力を何も持たない一般人であるし、舞台も特別なところはない普通の現代日本である。そしてビーティーはそんな中でもフィジカルでは大人はおろか同級生にすら劣っている、なんて言うと本作品は「ジョジョ」とはまるで違う作品のように感じるかもしれない。それはある意味では正しいが、ある意味では正しくない。確かに本作品を読んで受ける印象で「ジョジョ」に似ているところは絵柄くらいしか無いように感じられる。しかし、ある面に注目してみると、本作品は間違いなく「ジョジョ」と共通した面を持ち、そのルーツになった作品だと言えよう

 フィジカルに劣るビーティーは敵対する相手とまともにやりあってはとても敵わない。そこで手品のトリックを利用したり、言葉を巧みに操ったりして相手を陥れるのだが、こういう頭脳を駆使して精神に揺さぶりをかけるやりとりは「ジョジョ」Part2の主人公であるジョセフの常套手段であり、他にもPart3の人気エピソードの1つであるダービーとのギャンブル勝負などに見られ、間違いなく本作品から受け継がれている要素である

 受け継がれているものは他にもある。ビーティーはタイトルに魔少年とあるように、恐竜の化石を盗もうとデパートに侵入したり、敵対した相手には向こうに非があるとは言え容赦なく叩きのめしたうえに財布を失敬したりと悪事を働く事に躊躇が無い、というよりは悪い事をしているという意識すら感じられない。おかげで編集部のウケが悪く、人を説得させたら右に出る者はない、と作者が評する担当編集者の椛島良介ですら本作品の連載化を認めさせるのに大変苦労をしたという

 こういった悪魔的性格は「ジョジョ」シリーズにおけるディオなど、毎朝パンを食べるように悪事を行うような魅力的な悪役に受け継がれている。と同時にビーティーは確固とした信念を持ち、自分より親友の麦刈公一に危害が与えられる事の方により怒りを感じるという友情に厚いところもあるという、(作品ではなくキャラとしての)歴代のジョジョに相通じる面もある。言わばビーティーはディオのルーツであると同時にジョジョのルーツでもあるのだ

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ビジュアル面でもディオと共通した雰囲気が感じられる

 しかし、あくまでルーツはルーツに過ぎず、本作品は「ジョジョ」ではない。ビーティーは悪役と主人公の両方の性格を持ち合わせているのでその魅力が倍増とはいかず、両方の魅力を打ち消しあってしまい、結果、善悪の区別がつかない小賢しいガキになってしまった

 また、頭脳戦は確かに「ジョジョ」の魅力の1つではあるが、それは肉体及び能力を使用した派手なバトルの合間に行われるからこそ魅力が際立つのであり、そればかりだと見た目も地味で飽きてしまう。ましてや本作品は相手がナチかぶれのイカレたオッサンとか、妄想癖のあるサイコパスな警備員とかしょぼい連中で、キャラとしての魅力も皆無である。ようやく最終エピソードでビーティーを一度は負かすような好敵手が出てきてアンケート結果も良かったというが時既に遅し、元々編集部のウケが悪かった事もあり、その頃には連載終了が決定していて本作品は僅か10回でその幕を閉じたのであった

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ジャンプで一番激しいバトルは

 本日8月10日は、ジャンプの黄金期を彩った漫画家の1人である山根和俊の誕生日である。などと周知の事実のように言ってみたが、もしかすると中には「誰だよ、山根和俊って?」と思っている人も少なからずいるかもしれない。だが、そんな人も作品名と単行本のカバーを見れば思い出すのではないだろうか。…まあ、思い出せなくてもどうせ紹介するから問題ないし

 という訳で今回紹介するのはこの作品だ

 

 超弩級戦士ジャスティス(93年48号~94年11号)

 山根和俊

 

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カバーの下にはスタッフクレジットが

 作者は89年「BERSERK」でホップ☆ステップ賞佳作を受賞。翌90年に「KILL BLADE」が増刊スプリングスペシャルに掲載されてデビュー、同年サマースペシャルにも「SCORPIO」が掲載される

 また、この頃に萩原一至のアシスタントを務めるとともにアルバイトとしてウルフチームというゲームメーカーで働いており、同社の数々の作品のキャラクタデザインを担当したという。そしてその内の1つである「エル・ヴィエント」が91年にゲーム誌の「BEEPメガドライブ」でコミカライズされる事になり、これが連載デビュー作となる(名義は上野哲也)

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画像はBEEPメガドライブの前身であるBEEP(復刻版)

 ジャンプ関連に話を戻すと91年にジャンプノベルで第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞入選作である定金伸治の「ジハード」の挿絵を担当、翌92年には増刊オータムスペシャルからコミカライズも手掛けるようになる。そして93年30号「魔剣戦記DEICIDE」で本誌デビューを飾ると、同年48号から本作品で連載を開始する事となったのであった

 そんな本作品は、生きている剣である斬魔刀の使い手であるジャスティスが、人類を滅ぼして地球移住を目論むネクロシスとの戦いに身を投じるバトル漫画である

 ところで、本作品の単行本カバーを見て、作者がアシスタントを務めた萩原一至の「BASTARD‼ 暗黒の破壊神」(以下「BASTARD‼」)を思い浮かべた方もいる事だろう。主人公であるジャスティスの長い金髪につり目という外見的特徴は「BASTARD‼」の主人公であるダーク・シュナイダーと一緒であるし、画のタッチも師弟である故か似た雰囲気がある

 共通点は他にもある。そもそも剣と魔法のファンタジーというテーマからして「BASTARD‼」と一緒だし、女性キャラがやたら露出度が高いのも一緒、決めの場面でのアメコミのようなハッタリの効いた演出もまるで「BASTARD‼」を見ているようで、師である萩原一至の影響は隠れようがない

 だからといって、私は本作品を「BASTARD‼」のパクりなどと言う気はない。確かに「BASTARD‼」との共通点も多いのでそう思ってしまうのもわからないでもないが、読んでみるとそれと同じくらい相違点も見つけられるからだ

 まず物語の舞台からして違う。「BASTARD‼」の舞台はベタベタなファンタジー世界で、登場するキャラも如何にもな格好をしているのが多いのに対し、本作品の舞台は現代に近い世界で魔法の要素は薄く、普通にヘリコプターとか銃も出てくるし主人公のジャスティスも革ジャンにホワイトジーンズ姿でバイクに乗っていたりする

 中でも一番の違いは主人公だろう。両作品の主人公の見た目が似ている事は前述したが、中身の方はまるで違う。「BASTARD‼」の主人公であるダーク・シュナイダーは、所謂剣と魔法のファンタジーにおいては主人公になる事が少なくむしろ悪役になりがちな魔術師であり、性格面を見ると残忍で傲岸、おまけに世界征服を目論んでいるという悪役じみた、というかまんま悪役な設定である

 一方、本作品の主人公であるジャスティスの方は、単行本のカバーでも剣を持ってポーズを決めている事からわかるようにバリバリの剣士であり、性格の方も正義を意味する名前そのまんまに正義の心を持った熱血漢と、典型的なジャンプの主人公キャラとなっている

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刀より銃の方が似合いそうな格好だ

 以上の相違によって「BASTARD‼」は一見王道のヒロイックファンタジーのようで、実はアンチヒーローのダークファンタジーになっているのに対し、本作品の方はジャンプの王道ど真ん中と、似て非なる作品に仕上がっている。そしてその相違はそのまま両作品の明暗を分ける結果となってしまった

 何度も言っているが、ジャンプで連載を持つだけでも相当大変な事である。そして、長期に渡って連載を続けるにはその相当大変な事をやり遂げたもの同士での争いに勝ち残らなければならないので輪をかけて大変な事である。なので、各々はサバイバルレースを勝ち抜く為のセールスポイントが必要とされる

 その点において「BASTARD‼」はダーク・シュナイダーの主人公でありながら悪逆非道なところは当時のジャンプでは珍しく、他にない明確なセールスポイントとなっているのに対し、それが無い本作品はジャンプの中でも最も層の厚い王道バトル漫画という土俵で他の王道作品と真正面から争わなければならなかった。そしてその結果、力足りず14話で終了となったのであった

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  しかし、当時のジャンプの王道バトル漫画といえば「DRAGONBALL」に「幽☆遊☆白書」、「ダイの大冒険」といった錚々たる面々であり、それらとの争いに敗れたからといって誰が責める事が出来ようか

 ジャンプの王道バトル漫画同士の生き残りを賭けたバトルは、どんな漫画の中のバトルよりも過酷なのだ

北条司に何が起こったか

 何度も言っているが、と何度も言っているが、ジャンプの正式名称は少年ジャンプであり、メイン読者層は少年、つまり未成年である。なので、連載作品の主人公は読者と同様の未成年者か、成人であっても「北斗の拳」のケンシロウや「るろうに剣心」の緋村剣心のように社会生活感が無く、何で収入を得ているのか、そもそも収入があるのかもわからないような者が多い。「DRAGONBALL」の孫悟空なんかは初期は少年で、後に大人になった上に結婚して子持ちにもなるが、仕事をしている様子は微塵も無しと両者を兼ね備えており、こんな部分でもジャンプの王道を行っていると、ある意味感心させられたりする

 そんな中で一際異彩を放っているのが北条司の作品である。北条司と言えば黄金期前に「キャッツ♡アイ」、黄金期に「CITY HUNTER」と2つの作品がTVアニメ化されたジャンプを代表する漫画家の1人であるが、その両作品共に主人公はちゃんと仕事を持った社会人(スイーパーはちゃんとした仕事と言っていいのか微妙だが)で、内容の方もジャンプ作品の主流とはかけ離れた大人のムードが漂う都会的な作品となっている。その為か両作品の読者層はジャンプのメイン層よりも年齢が高めで、アンケート結果はそれほどでもないが、その割に単行本の売り上げは良かったという話もある

 そんな訳で今回紹介するのは北条司のこの作品だ

 

 こもれ陽の下で…(93年31号~94年5・6号)

 北条司

 

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短編集「桜の花咲くころ」より作者自画像


 作者は79年に「スペース・エンジェル」で手塚賞準入選、翌80年に「おれは男だ!」がジャンプ増刊に掲載されてデビュー。81年に原作付きの「三級刑事」が増刊に掲載された後、29号に読切「キャッツアイ」が掲載されて本誌デビューを飾ると、これが好評だったのか早くも同年40号から連載作品となり連載デビューを果たし、いきなりTVアニメ化される程の大ヒットを記録する。84年に「キャッツ♡アイ」が終了した後は、同作品が連載中の83年18号及びフレッシュジャンプ84年2月号に掲載された読切の「CITY HUNTER」が85年13号から連載化、こちらもTVアニメ化と2作続けての大ヒットとなる。そして91年に「CITY HUNTER」が終了後、92年11号に「ファミリープロット」、同年39号「少女の季節」と読切作品を経て、93年3・4合併号に掲載された「桜の花咲くころ」をベースにタイトルを変更した上で同年31号から連載が開始されたのが本作品である

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ベースとなった読切はこちらの短編集に収録されている

 そんな本作品の概要は、作者の公式サイトに解説が載っているのでまずはそれを引用させて頂く

 妹の怪我の原因となったエゴノキを切ろうとした少年・北崎達也の前に現れた少女・紗羅。彼女は植物と交感できる力を持っていた。短編「桜の花咲くころ」を土台に連載化された、永遠の少女と彼女に出会った人々の交流を描くハートフルSF

 物語は達也とその家の隣に引っ越してきた紗羅との出会いから始まり、2人を中心にして植物に因んだエピソードが繰り広げられていくうちに、当初は紗羅をあまりよく思っていなかった達也の心に変化が、という所謂ボーイミーツガール色の強い作品である

  と、説明だけでも察せられると思うが、本作品はそれ以前に連載した「キャッツ♡アイ」、「CITY HUNTER」とはかなり方向性が違っている。以前の2作品は一言で言うと『大人の都会の物語』なのに対して、本作品は物語の中心は紗羅と達也という小学生だし、舞台も植物が関連しているので都会では成立できない『子供の田舎の物語』(厳密には田舎とより郊外と言う方が近いと思うが)と、ほぼ真逆のテーマを持っている

 また、違うのはテーマだけではない。過去作は漫画的なフィクション要素は多めではあるものの、基本的には魔法や超能力といった超常的なものとは無縁だったのが、本作品はヒロインの紗羅からして歩く超常現象と言える存在と、何から何まで違う作風に、連載が開始した当初は戸惑いを覚えたのは私だけではあるまい

 それにしても過去作が不評だったならともかく、好評だったにもかかわらずガラリと作風を変えるなんて、一体作者に何が起こったのだろうか? アスファルトタイヤを切りつけながら暗闇走り抜ける(By Get Wild)事に疲れたのだろうか? などと冗談めかしてみたが単行本1巻カバー折り返しの作者あいさつを見るとあながち的外れではないような気もする

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なかなかポエミックな挨拶である

 考えてみれば、この時作者は連載デビューしてから十余年、年齢は30代半ばを迎えており、レオタード姿の女怪盗や、何かというと股間を膨らませるスイーパーなどを描く事に疑問を感じ、読者の心に染み入る幻想的な物語を描きたいなどと考えてもおかしくないだろう。そしてこの頃の作者の読切作品は、本作品の元となった「桜の花咲くころ」以外にも人間に化けた猫や吸血鬼など、ファンタジー溢れるキャラクターが登場する作品がチラホラあったりする

 など勝手な事を言ってみたが、作者がどのように考えていたのかなど結局のところ本人にしかわかりようがない。それよりも読者にとって重要なのは、作品が面白いかどうかである。そしてその部分がどうだったかというと、作者にとって初の短期終了作品となってしまった事実からして残念ながらジャンプの読者層にはあまり響かなかったと言わざるを得ない

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 前述の通り、作者の読者層はジャンプのメイン層よりも年齢が高めである。そんな読者にとっては『大人の都会の物語』から『子供の田舎の物語』への路線変更は受け容れ難いものであった。そして、子供がメインの物語になったからといって年齢が低めのメイン読者層に刺さるかというとそれも否な話である。「キャッツ♡アイ」での盗みに入った先での攻防や「CITY HUNTER」でのガンアクションといった見せ場が無く、自然が絡んだ物語が中心となっているので、むしろ従来の読者層よりも更に年齢が上の、もうジャンプを読まなくなったような層が郷愁を感じるような仕上がりと、完全に読者層とターゲット層が乖離しているので短期終了も止む無しと言える

 コロナ禍の真っ只中の現在、帰郷したくても出来ないという人も少なくないだろう。そんな人は代わりに本作品を読み、子供の頃田舎で過ごした日々を思い起こしてノスタルジックな気分に浸るのも一興ではないだろうか

 

 

五輪とジャンプ

 本日は東京オリンピックの開会式が行われる日であり、これを書いているまさに今、式が行われている最中である

 本来は昨年に開催されるはずであったところをコロナ禍の為一年順延してもまだ収まらない中での開催強行には今なお批判も多く、また、運営面でも新国立競技場の建設コスト問題に始まり、エンブレムデザイン盗作問題、更にここにきてセレモニーに関わる人物が過去の言動が問題となり次々と辞任、解任されるグダグダぶりと、既にケチがつきまくっている感は否めない。私自身もスポーツ観戦は好きだし、そこまでオリンピックに悪感情は無いにしろ、あまり熱を入れて見る気が湧かないというのが正直な気持ちである

 が、そういった真面目な話は一旦さておき、自国でオリンピックが開催される事など滅多にないので、今回はオリンピック開幕記念としてオリンピックとジャンプをテーマに少し話題を掘り下げていきたい

 

 ところで皆さんはオリンピックとジャンプと聞いて何を連想するだろうか? 正直なところ、四年に一度しか目を覚まさない為にオリンピック男の異名がある「こち亀」の日暮熟睡男や、「キン肉マン」の超人オリンピックなど、名前がそうなだけで実際のオリンピックとは関係ないものを思い浮かべるのがせいぜいという方も多いのではないだろうか

 それも無理のない話である。なにせジャンプの黄金期においてオリンピックに因んだ作品は読切作品が数本あるのみで、連載作品に関してはオリンピックを描いた作品など皆無、せいぜいギャグマンガで一過性のネタとして触れられる程度なのだから

 しかしながら、オリンピックを描いていなくてもオリンピック競技となっているスポーツを描いた作品は少なくない。黄金期の全連載作品数168のうち該当する作品は、ゴルフなど連載当時はまだオリンピック種目じゃなかったものや、オリンピックはオリンピックでも冬季オリンピックの種目だったものを除いても全8種目、延べ20作品にものぼるのだ

 因みに種目別で見ると圧倒的に多いのはボクシングで、当ブログで紹介した「ハードラック」、「とびっきり」、「BAKUDAN」を含めその数は全部で8作品になる

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 それに続くのはサッカーの4作品(「キャプテン翼」と「キャプテン翼ワールドユース編」を別にカウントすれば5作品だが)、テニス、野球の2作品、バスケットボール、体操、柔道、馬術がそれぞれ1作品ずつとなっている

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野球は正式種目となった92年大会以降のみカウントしました

 それにしても20作品もあればオリンピックを描く作品が1つくらいあってもよさそうなものだが、全くないのはどういうことなのだろうか?

 などと、謎に思う程複雑な話ではなかったりする。当ブログは何度も言っている事だが、ジャンプの正式名称は(週刊)少年ジャンプであり、そのメイン読者層は少年である。故に、連載作品の主人公は読者層と同じく少年である事が多い。この法則は当然オリンピック種目を題材とした作品にも当てはまる訳で、有名どころだとバスケットボール漫画である「SLAM DUNK」の桜木花道も、サッカー漫画である「キャプテン翼」(及び「キャプテン翼ワールドユース編」)の大空翼も然りである。翼は他誌の続編では成人するけど

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 なので、主人公の年齢的にオリンピックは目標の大会になりえないというのが理由としては一番大きいだろう

 そしてもう1つ別なケースとしては、主人公の年齢的にはオリンピックが目標になりえるが、オリンピックより大きな目標がある場合だ。例えば種目別で最多の8作品もあるボクシングでは「BAKUDAN」などはオリンピックよりプロの世界チャンピオンが目標となっている。他誌も含めると「あしたのジョー」など多くの作品もそうである。また、黄金期の間はオリンピック種目ではなかったので今回は除外したゴルフだとマスターズなどのメジャー大会が優先される事だろう

 

 どうもオリンピックとジャンプとの関係について話題にするつもりが、いかに両者が関係が無いかという真逆の話題になってしまって自分でも困惑しているが、最後に1つだけ言いたい。この状況下でのオリンピック開催について否定的な考えを持っている人は少なからずいるだろうし、私はそれを否定する気は無い。だが、出場している選手達に非がある訳では無いのでその矛先を彼らに向けるのはやめて頂きたいと思う次第である

ジャンプ黎明期の苦闘の記録

 前回はジャンプの創刊記念という事で創刊号の紹介をし、その中でジャンプの船出は決して順風満帆とは言えなかったと述べたが、今回はその辺りをもう少し掘り下げる為に前回の記事でも少し触れたこちらを紹介したい

 

 さらば、わが青春の『少年ジャンプ』

 西村繁男

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 著者は62年に集英社に入社。68年に創刊スタッフとして少年ジャンプ編集部に配属される。78年には第3代の編集長に就任し、以後八年にわたって陣頭の指揮を執り、90年には集英社の取締役にまで昇り詰める事になる

 著者のプロフィールから察せられると思うが、今回紹介するのは漫画ではない。ジャンプの創刊以前から集英社に在籍し、編集者、編集長、役員と立場を変えながら二十年以上もジャンプに携わってきた人物の手によりジャンプ興亡の歴史を記したノンフィクションで、94年に飛鳥新社から出版されたものを加筆して97年に幻冬舎から文庫として出版されたものである

 前文は93年9月8日、ジャンプ創刊号の巻頭を飾った漫画家、梅本さちおの急逝(死去は9月6日)を告げる電話を受けたところから始まる

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創刊号の巻頭を飾った梅本さちおの「くじら大吾」

 そして梅本さちおの通夜に参列した著者は、同じく通夜に参列したちばてつや本宮ひろ志といった懐かしい顔ぶれと再会して気分が高揚した事と、関連会社への出向が決まっていた事の鬱屈からジャンプ創刊当時の燃えるような日々を思い出し、何かの形で残したいという気持ちから本書の執筆を決めたという

 

 その後、著者が入社二年目の63年に、後のジャンプ初代編集長である長野規と出会ったところから本章が始まるのだが、当時の集英社の様子が現在の我々が抱いている超メジャーな出版社というイメージからはほど遠過ぎて驚かされる。大看板であるジャンプがまだ創刊前であるから、後と比べると色々劣るのは当たり前と言われたらそうなのだろうが、失礼な話、それにしても限度があるだろうというレベルでショボいのだ

 元々集英社小学館の娯楽部門が分離独立して出来たものなのだが、この頃は新雑誌を創刊するにもいちいち小学館の社長である相賀徹夫の許可が必要だという完全に子会社状態であり、ジャンプが創刊当時週刊ではなく月2回刊だったのも相賀が反対した為だったという

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 そんな有様だから人員も予算も乏しく、創刊当時の編集部員は著者の他に前述した編集長の長野規、副編集長で後の第2代編集長となる中野祐介、あとは後輩の加藤恒雄と僅か4人であり、予算はページ換算すると1ページ4千円、そこから雑費を引くと原稿料は1ページ3千円しか掛けられなかったという

 参考までに当時の原稿料の相場は1ページ4千円程度であり、人気漫画家となるとそれより高くなるのは言うまでも無い。これでは読切なら付き合い上引き受けてくれるかもしれないが、他誌に連載を持っていてスケジュール的に余裕が無い事もあって、連載を引き受けてくれる漫画家はそうそう見つかりそうもない。創刊号に連載作品が2つしかなく、その2つの執筆者のネームバリューも見劣りしていたのも故無き事では無いのだ。しかも、そこまでしてもなお所定のページには足りず、最終的には既存の海外作品の掲載権を安く手に入れて穴埋めをするという始末であった

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既存の海外作品の掲載は創刊号に限らずしばらく続いたようだ

 そんな逆境どころか、よく創刊まで漕ぎ着けられたものだと思えるような惨状から、日本一の雑誌にまで昇り詰めるのだから、本当に世の中はわからないものだ。そこに至るには勿論時代時代の連載陣の力も必要であっただろうが、その連載陣の取捨選択を含めた編集部の決断と働きがあっての事だというのは想像に難くない

 中でも初代編集長である長野規の貢献は別格だったようで、結構なページがそのエピソードに割かれており、それを読んでいくと、現在まで続くジャンプの伝統というべきものの多くが長野体制下において生まれた事がわかる

 例えば既に他誌で名の売れた漫画家を起用するのではなく、無名の新人を育てる事を重視する所謂純血主義も、前述の苦しい事情からそうせざるを得なかった面があるにしても長野体制下の産物であるし、創刊号から既にアンケートはがきを封入してのアンケート至上主義も長野の発案である。ジャンプ漫画の代名詞と言える、『友情』、『努力』、『勝利』という三本柱に至っては、ジャンプ創刊より以前に長野が編集長を務めていた少年ブックで既に掲げていたテーマだという

 一方で、やはりジャンプの伝統ではあるが、批判も多い専属制度も長野の発案であり、その他にも、出版業界どころか社会全体の倫理観が今より欠如していた昔の話だという事を差し引いても眉を顰めてしまうダークなエピソードも散見され、ひと癖もふた癖もある人物であっただろう事もうかがえる。しかしながら、後発誌で環境にも恵まれないジャンプが天下を取るには、時に尋常ならざる手段も必要な訳で、そういう意味では長野が初代編集長だった事は僥倖だったと言えるだろう

 そして、もう1人ページを大きく割かれている人物が、本宮ひろ志である 

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  本宮ひろ志といえば、以前紹介した「ばくだん」でも触れたように、ジャンプ黎明期を牽引した立役者の1人にしてジャンプと専属契約を結んだ第1号であるなど元々エピソードに事欠かない人物である。加えて著者にとっては初めてゼロから育て上げた漫画家であるので思い入れが強いのか事細かに描写され、中には急な仕事を頼みたくて訪ねたのに本宮がソープにいって留守だったなどという下半身事情の暴露もあったりする。思えば80年代半ばまでのジャンプの本宮に対する過剰なほどの特別扱いは、その貢献度の高さに加え、本宮に対して思い入れの強い著者が編集長内で力を持っていたからだという事も大きかったのかもしれない

 そんな2人の貢献、そして勿論著者本人の貢献もあって、ジャンプは幾度か危機に直面しながらも着実に成長を続けてついにはマガジン、サンデーを抑えて日本一の漫画週刊誌となる訳だが、そのあたりからは著者が偉くなって現場の最前線から外れた為か、描かれるのは編集部内や社内の勢力争いばかりになり、業界本としてはともかくジャンプの話としては正直面白くなくなってくるのが玉に瑕だ

 とは言え、現在の読者どころか黄金期の読者すら想像できないようなジャンプ黎明期の舞台裏を、その当事者によって描かれたものなど他に類のない貴重なものなので是非とも読んで頂きたい一冊だ。が、現在絶版になっていて古本でしか入手出来ないのが残念で仕方がない。…まあ、本書に限らずここで紹介する作品は大概絶版なのだが

Happy Birthday JUMP

 本日はジャンプにとって最も重要な記念日である。というのも、今を遡る事五十三年前の今日、1968年7月11日にジャンプの第1号、年度毎に発行されるものじゃなく本物の第1号、つまり創刊号が発売されたからだ

 そういう訳で今回はジャンプ誕生記念としてジャンプの創刊号がどんなものであったかを紹介したいと思う。なお、実際に見て頂くのはオリジナルではなく、以前紹介した1995年3・4号と同じく後に復刻されたものだが

 

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  早速だが表紙はこちら

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95年3・4号と並べてみると白さが目立つ

 なんというか、流石に五十年以上前とあって非常に時代を感じさせるデザインだと言えよう。特に最上部に書かれている「新しい漫画新幹線」という今となっては意味不明なキャッチフレーズが、東海道新幹線が開通してからあまり時間が経っておらず、まだ庶民が気軽に乗れるものでは無かったという当時の世相を感じさせて微笑ましい。現在や黄金期の表紙と比べるとかなり違和感のあるデザインだが、中でもジャンプという文字のロゴデザインが全然違うところが一番違和感を感じさせる原因だろうか

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一方で海賊マークはこの頃から変わらなかったりする

 他にも注目すべき所はいくつかあるが、まずはこの部分だろう

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 創刊当時のジャンプは週刊ではなく月二回刊である事は一部では知られた事実ではあるが、その発売日は第2第4木曜日。現在の発売日である月曜日ではなく、黄金期に発売日であった火曜日(首都圏では月曜日だったが)でもなく木曜日だ。木曜日といえばかつてのマガジン、サンデーの発売日だが、逆に両誌の創刊号の発売日は59年3月17日の火曜日であったという興味深い事実がある

 そして驚愕のこの値段

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因みに表紙の裏には明治のキャラメルの広告が載掲載されているがその値段は20円だ

 私が購読を始めた頃の値段は170円で、それが90年に190円になり、96年に200円の大台に乗った時にはジャンプがこんなに高くなったのかと衝撃を受けたものだが、この時の値段は3桁にもなっていない。まさに桁違いの安さである。しかも実はこれでも競合誌に比べれば高いほうで、マガジンもサンデーも当時はたった60円であった

 

 そしてジャンプと言えばこれ。創刊号から既にアンケート至上主義が徹底されているようである

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 創刊号の記念すべき掲載陣の顔ぶれ

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記念すべき創刊号の巻頭カラーはこの作品だ

 掲載作品数は僅か8本で、総ページ数も256しかない。以前紹介した95年3・4号の場合、掲載作品数は22本、総ページ数は500を超えており、比べてみるとかなり寂しく感じられる。ただし、これはジャンプに限った事ではない。この当時はマガジンもサンデーもページ数は大差なく、部数争いの結果、年を経るごとに徐々にページ数が増えて行った形だ。これより以前のマガジン、サンデーの創刊当時など両誌ともに100ページにも満たなかったのである。

 顔ぶれを見ると目立つのは赤塚賞でもおなじみ赤塚不二夫の「大あばれアパッチ君」、恐怖漫画の大家である楳図かずおの「手」あたりだろうが、残念ながらいずれも読切で連載作品ではない。そしてジャンプの黎明期を牽引した作品の1つである永井豪の「ハレンチ学園」も掲載されているが、この時はまだ読切での登場となっていて、連載作品は梅本さちおの「くじら大吾」と貝塚ひろしの「父の魂」の2本のみである

 ところで、皆さんは両連載作品の事をご存じだっただろうか。私は正直に言うと両作品どころか両作者の名前すら知らなかった。調べたところ梅本さちおは70年から少年キングで連載された「アパッチ野球軍」が、貝塚ひろしは72年からサンデーで連載された「柔道讃歌」がそれぞれTVアニメ化されており、それなりの人気作家と言えるのだが、同時期のサンデーやマガジンは赤塚不二夫に藤子不二雄石ノ森章太郎ちばてつや川崎のぼるといった錚々たる顔ぶれを擁しており、それと比べると一枚も二枚も落ちる感じは否めないだろう

 ここでもう一度ある部分に注目して表紙を見て頂きたい

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 連載作品があるのにもかかわらず「ぜんぶ読切」という矛盾したキャッチフレーズがあるではないか

 ジャンプ創刊メンバーの1人である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」によると、これに関して疑問をぶつけた著者に、初代編集長である長野規は「連載では大きな流れのほかに、その号その号展開の中にもヤマを作っていくはずだな。そのヤマを読切とみなすんだよ」と答えたと書いてあるが、イマイチよくわからない。要は、看板となる人気作家の連載作品が確保できなかったので、代わりに何か付加価値をつけようという苦し紛れの方策なのだろう。発行部数の方もそのあたりの苦しい事情を反映してか、マガジン、サンデーどころか少年キング(同時期の平均部数約40万部)の足元にも及ばない僅か10万5千部であった

 そんな前途洋々とは程遠い船出となったジャンプであったが、その後快進撃を続けて全盛期には創刊号の発行部数の60倍を超える653万部という前人未到の記録を打ち立てる事になるのは皆さんもご存じの通りである

ジャンプ作品たちの仮面の下の素顔を暴く

 意味深な題名にしてみたが、ここで言う仮面とは単行本についているカバーの事であり、要はカバーの下の地を見せるという意味なので、スキャンダラス的なものを期待した方はガッカリさせてしまって申し訳ない。しかし、考えてみると私たちは表紙絵というとカバー絵を連想してしまう程カバーがついているのが当たり前の事となってしまい、単行本を雑に扱っていた子供の頃を除くとカバーの下を見る機会はあまり無いのではなかろうか。それが短期終了作品だと尚更に。え?そもそも短期終了作品はカバーを見る機会もあまり無いって?。それを言っては身も蓋もないではないか

 そんな訳で今回は普段見る事のない短期終了作品の単行本カバーの下の地の表紙を色々見て頂きたい

 

 まずは毎度お馴染み成合雄彦の「カメレオンジェイル」から

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 御覧の通りカバーデザインとはうって変わってタイトルロゴと作者名など最低限の情報のみという非常にシンプルなデザインとなっている

 このタイプは古い作品の多くが該当し、メジャーなところでは「こち亀」もワンポイントで両津と中川の顔が描かれているが基本的にはこのタイプと言えよう。100巻を超えたあたりでデザインが変わってしまったけど

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ジャンプスーパーコミックスは大概このパターンだ

 次に見て頂きたいのはこちら

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 自分で見せておいてなんだが、カバーデザインと全く同じで三色刷りになっただけという面白みのないデザインだ

 このタイプは時代が新しくなると共に上に挙げたタイプにとって代わって主流となっている。多くの単行本は以上2タイプのどちらかと、そのバリエーションだ

 バリエーションの一例としてはこんな感じ

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 カバーイラストの一部を流用して枠で飾っただけだが、それだけで結構印象が違うエコなデザインだ

 数はそんなに多くないが、カバーデザインとは全く別のデザインをわざわざ用意したパターンもある

 

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 同タイプであるがデザイン的に絵よりロゴに力を入れたものもある。前回紹介した「ZOMBIE POWDER.」も自己主張は激し過ぎるがタイプとものはこれに該当するだろう

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 これなんかはシンプルだが、作品とマッチしていて個人的に好きなデザインだ

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 このパターンは大抵全巻共通のデザインである事が多いのだが、中には各巻でデザインが違うのもある

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 こういう場合はラフスケッチや設定画を流用するのが殆どで、ここまでしっかりしたのは珍しい

 珍しいといえば裏表紙にもデザインが施されているパターンもある

 まずは通常の単行本の裏表紙を見て頂こう

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ジャンプスーパーコミックスだとJSCマークだ

 こんな風に大抵の単行本の裏表紙は無地で中央にJCマークがあるだけのシンプルなもので、あってもせいぜい表紙のベースの柄を流用している程度だ

 次にこちら f:id:shadowofjump:20210705134443j:plain

 これなんかは凝ったデザインで流石小畑健だと感心させられる。が、それでも表紙の地を裏表紙にも利用しているに過ぎない。まあ、そもそも実際にデザインしたのは小畑健本人ではなくデザイナーだろうし

 で、これが裏表紙にもデザインが入っている珍しいパターンだ。私の調べた範囲では他に裏表紙に独自のデザインを施しているものは殆ど無かった

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 と言ってもタイトル文字が裏まではみだしているだけなのだが、派手な色使いといい、作者の宮下あきらとマッチしていて味わい深い

 

 参考までに三大少年漫画誌の他の二誌のカバーの下も少しだけ見て頂こう

 まずはジャンプ最大のライバルであるマガジンから

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 週刊月刊問わずどの単行本も皆同じデザインという無個性ぶりで、文字のフォントもつまらない。私が子供の頃、家には誰が買ったのか不明だがマガジンコミックスが何冊かカバーの無い状態で置いてあり、理由は自分でもよくわからないのだが それを見て強い嫌悪感を抱いた記憶がある。私がマガジンを殆ど読まないのはそれが理由の1つなのかもしれない。後にはデザインが変更されて、しかもカバーと下の地が同じというケースも多くなっているので今では見られないデザインだ

 そしてサンデー

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 私が調べた限りでは「ジャストミート」や「タッチ」などもこのタイプで、80年代半ばには既にカバーと下の地が同じデザインが主流となっていたようだ。ジャンプでこのタイプが主流なるの80年代末期から90年代初頭あたりで、マガジンは更に遅い。三大少年漫画誌の中では常にジャンプ、マガジンの後塵を拝してきたサンデーだが、この分野においてはサンデーが先駆けで他誌が追随する形となっている。まあ、それにどんな価値があるのかはわからないが

 

  他にも見せたいものは沢山あるが、まだ記事にしていない作品については今後記事にする際にカバーの下も披露するようにしたいという事で、今回はここまでとする

 最後に、これを見てカバーの下に興味を持つ奇特な人がいるとも思えないが、もしいたならば、ブックオフなどに出かけて売り場の本のカバーを片っ端から剥いて回るような事はしない方が良いと忠告しておく。私もこの記事の為に近所のブックオフでやってきたのだが、小心者には他人の目が気になってデザインが殆ど頭に入らなかった。ので、ちゃんと単行本を購入して家でじっくり見るように。尚その際は電子書籍版を購入しないよう重ねて忠告する。他の出版社の電気書籍の中にはちゃんとカバー下の地の部分も入れてくれているところもあるが、ジャンプコミックスについては入っていない(少なくとも私の手持ちの電子書籍はそうだった)ので金の無駄になるからだ。…いや、中身は普通に読めるので無駄ではないか

  

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