黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

ジャンプ黎明期の苦闘の記録

 前回はジャンプの創刊記念という事で創刊号の紹介をし、その中でジャンプの船出は決して順風満帆とは言えなかったと述べたが、今回はその辺りをもう少し掘り下げる為に前回の記事でも少し触れたこちらを紹介したい

 

 さらば、わが青春の『少年ジャンプ』

 西村繁男

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 著者は62年に集英社に入社。68年に創刊スタッフとして少年ジャンプ編集部に配属される。78年には第3代の編集長に就任し、以後八年にわたって陣頭の指揮を執り、90年には集英社の取締役にまで昇り詰める事になる

 著者のプロフィールから察せられると思うが、今回紹介するのは漫画ではない。ジャンプの創刊以前から集英社に在籍し、編集者、編集長、役員と立場を変えながら二十年以上もジャンプに携わってきた人物の手によりジャンプ興亡の歴史を記したノンフィクションで、94年に飛鳥新社から出版されたものを加筆して97年に幻冬舎から文庫として出版されたものである

 前文は93年9月8日、ジャンプ創刊号の巻頭を飾った漫画家、梅本さちおの急逝(死去は9月6日)を告げる電話を受けたところから始まる

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創刊号の巻頭を飾った梅本さちおの「くじら大吾」

 そして梅本さちおの通夜に参列した著者は、同じく通夜に参列したちばてつや本宮ひろ志といった懐かしい顔ぶれと再会して気分が高揚した事と、関連会社への出向が決まっていた事の鬱屈からジャンプ創刊当時の燃えるような日々を思い出し、何かの形で残したいという気持ちから本書の執筆を決めたという

 

 その後、著者が入社二年目の63年に、後のジャンプ初代編集長である長野規と出会ったところから本章が始まるのだが、当時の集英社の様子が現在の我々が抱いている超メジャーな出版社というイメージからはほど遠過ぎて驚かされる。大看板であるジャンプがまだ創刊前であるから、後と比べると色々劣るのは当たり前と言われたらそうなのだろうが、失礼な話、それにしても限度があるだろうというレベルでショボいのだ

 元々集英社小学館の娯楽部門が分離独立して出来たものなのだが、この頃は新雑誌を創刊するにもいちいち小学館の社長である相賀徹夫の許可が必要だという完全に子会社状態であり、ジャンプが創刊当時週刊ではなく月2回刊だったのも相賀が反対した為だったという

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 そんな有様だから人員も予算も乏しく、創刊当時の編集部員は著者の他に前述した編集長の長野規、副編集長で後の第2代編集長となる中野祐介、あとは後輩の加藤恒雄と僅か4人であり、予算はページ換算すると1ページ4千円、そこから雑費を引くと原稿料は1ページ3千円しか掛けられなかったという

 参考までに当時の原稿料の相場は1ページ4千円程度であり、人気漫画家となるとそれより高くなるのは言うまでも無い。これでは読切なら付き合い上引き受けてくれるかもしれないが、他誌に連載を持っていてスケジュール的に余裕が無い事もあって、連載を引き受けてくれる漫画家はそうそう見つかりそうもない。創刊号に連載作品が2つしかなく、その2つの執筆者のネームバリューも見劣りしていたのも故無き事では無いのだ。しかも、そこまでしてもなお所定のページには足りず、最終的には既存の海外作品の掲載権を安く手に入れて穴埋めをするという始末であった

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既存の海外作品の掲載は創刊号に限らずしばらく続いたようだ

 そんな逆境どころか、よく創刊まで漕ぎ着けられたものだと思えるような惨状から、日本一の雑誌にまで昇り詰めるのだから、本当に世の中はわからないものだ。そこに至るには勿論時代時代の連載陣の力も必要であっただろうが、その連載陣の取捨選択を含めた編集部の決断と働きがあっての事だというのは想像に難くない

 中でも初代編集長である長野規の貢献は別格だったようで、結構なページがそのエピソードに割かれており、それを読んでいくと、現在まで続くジャンプの伝統というべきものの多くが長野体制下において生まれた事がわかる

 例えば既に他誌で名の売れた漫画家を起用するのではなく、無名の新人を育てる事を重視する所謂純血主義も、前述の苦しい事情からそうせざるを得なかった面があるにしても長野体制下の産物であるし、創刊号から既にアンケートはがきを封入してのアンケート至上主義も長野の発案である。ジャンプ漫画の代名詞と言える、『友情』、『努力』、『勝利』という三本柱に至っては、ジャンプ創刊より以前に長野が編集長を務めていた少年ブックで既に掲げていたテーマだという

 一方で、やはりジャンプの伝統ではあるが、批判も多い専属制度も長野の発案であり、その他にも、出版業界どころか社会全体の倫理観が今より欠如していた昔の話だという事を差し引いても眉を顰めてしまうダークなエピソードも散見され、ひと癖もふた癖もある人物であっただろう事もうかがえる。しかしながら、後発誌で環境にも恵まれないジャンプが天下を取るには、時に尋常ならざる手段も必要な訳で、そういう意味では長野が初代編集長だった事は僥倖だったと言えるだろう

 そして、もう1人ページを大きく割かれている人物が、本宮ひろ志である 

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  本宮ひろ志といえば、以前紹介した「ばくだん」でも触れたように、ジャンプ黎明期を牽引した立役者の1人にしてジャンプと専属契約を結んだ第1号であるなど元々エピソードに事欠かない人物である。加えて著者にとっては初めてゼロから育て上げた漫画家であるので思い入れが強いのか事細かに描写され、中には急な仕事を頼みたくて訪ねたのに本宮がソープにいって留守だったなどという下半身事情の暴露もあったりする。思えば80年代半ばまでのジャンプの本宮に対する過剰なほどの特別扱いは、その貢献度の高さに加え、本宮に対して思い入れの強い著者が編集長内で力を持っていたからだという事も大きかったのかもしれない

 そんな2人の貢献、そして勿論著者本人の貢献もあって、ジャンプは幾度か危機に直面しながらも着実に成長を続けてついにはマガジン、サンデーを抑えて日本一の漫画週刊誌となる訳だが、そのあたりからは著者が偉くなって現場の最前線から外れた為か、描かれるのは編集部内や社内の勢力争いばかりになり、業界本としてはともかくジャンプの話としては正直面白くなくなってくるのが玉に瑕だ

 とは言え、現在の読者どころか黄金期の読者すら想像できないようなジャンプ黎明期の舞台裏を、その当事者によって描かれたものなど他に類のない貴重なものなので是非とも読んで頂きたい一冊だ。が、現在絶版になっていて古本でしか入手出来ないのが残念で仕方がない。…まあ、本書に限らずここで紹介する作品は大概絶版なのだが