黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

Happy Birthday JUMP

 本日はジャンプにとって最も重要な記念日である。というのも、今を遡る事五十三年前の今日、1968年7月11日にジャンプの第1号、年度毎に発行されるものじゃなく本物の第1号、つまり創刊号が発売されたからだ

 そういう訳で今回はジャンプ誕生記念としてジャンプの創刊号がどんなものであったかを紹介したいと思う。なお、実際に見て頂くのはオリジナルではなく、以前紹介した1995年3・4号と同じく後に復刻されたものだが

 

shadowofjump.hatenablog.com

  早速だが表紙はこちら

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95年3・4号と並べてみると白さが目立つ

 なんというか、流石に五十年以上前とあって非常に時代を感じさせるデザインだと言えよう。特に最上部に書かれている「新しい漫画新幹線」という今となっては意味不明なキャッチフレーズが、東海道新幹線が開通してからあまり時間が経っておらず、まだ庶民が気軽に乗れるものでは無かったという当時の世相を感じさせて微笑ましい。現在や黄金期の表紙と比べるとかなり違和感のあるデザインだが、中でもジャンプという文字のロゴデザインが全然違うところが一番違和感を感じさせる原因だろうか

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一方で海賊マークはこの頃から変わらなかったりする

 他にも注目すべき所はいくつかあるが、まずはこの部分だろう

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 創刊当時のジャンプは週刊ではなく月二回刊である事は一部では知られた事実ではあるが、その発売日は第2第4木曜日。現在の発売日である月曜日ではなく、黄金期に発売日であった火曜日(首都圏では月曜日だったが)でもなく木曜日だ。木曜日といえばかつてのマガジン、サンデーの発売日だが、逆に両誌の創刊号の発売日は59年3月17日の火曜日であったという興味深い事実がある

 そして驚愕のこの値段

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因みに表紙の裏には明治のキャラメルの広告が載掲載されているがその値段は20円だ

 私が購読を始めた頃の値段は170円で、それが90年に190円になり、96年に200円の大台に乗った時にはジャンプがこんなに高くなったのかと衝撃を受けたものだが、この時の値段は3桁にもなっていない。まさに桁違いの安さである。しかも実はこれでも競合誌に比べれば高いほうで、マガジンもサンデーも当時はたった60円であった

 

 そしてジャンプと言えばこれ。創刊号から既にアンケート至上主義が徹底されているようである

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 創刊号の記念すべき掲載陣の顔ぶれ

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記念すべき創刊号の巻頭カラーはこの作品だ

 掲載作品数は僅か8本で、総ページ数も256しかない。以前紹介した95年3・4号の場合、掲載作品数は22本、総ページ数は500を超えており、比べてみるとかなり寂しく感じられる。ただし、これはジャンプに限った事ではない。この当時はマガジンもサンデーもページ数は大差なく、部数争いの結果、年を経るごとに徐々にページ数が増えて行った形だ。これより以前のマガジン、サンデーの創刊当時など両誌ともに100ページにも満たなかったのである。

 顔ぶれを見ると目立つのは赤塚賞でもおなじみ赤塚不二夫の「大あばれアパッチ君」、恐怖漫画の大家である楳図かずおの「手」あたりだろうが、残念ながらいずれも読切で連載作品ではない。そしてジャンプの黎明期を牽引した作品の1つである永井豪の「ハレンチ学園」も掲載されているが、この時はまだ読切での登場となっていて、連載作品は梅本さちおの「くじら大吾」と貝塚ひろしの「父の魂」の2本のみである

 ところで、皆さんは両連載作品の事をご存じだっただろうか。私は正直に言うと両作品どころか両作者の名前すら知らなかった。調べたところ梅本さちおは70年から少年キングで連載された「アパッチ野球軍」が、貝塚ひろしは72年からサンデーで連載された「柔道讃歌」がそれぞれTVアニメ化されており、それなりの人気作家と言えるのだが、同時期のサンデーやマガジンは赤塚不二夫に藤子不二雄石ノ森章太郎ちばてつや川崎のぼるといった錚々たる顔ぶれを擁しており、それと比べると一枚も二枚も落ちる感じは否めないだろう

 ここでもう一度ある部分に注目して表紙を見て頂きたい

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 連載作品があるのにもかかわらず「ぜんぶ読切」という矛盾したキャッチフレーズがあるではないか

 ジャンプ創刊メンバーの1人である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」によると、これに関して疑問をぶつけた著者に、初代編集長である長野規は「連載では大きな流れのほかに、その号その号展開の中にもヤマを作っていくはずだな。そのヤマを読切とみなすんだよ」と答えたと書いてあるが、イマイチよくわからない。要は、看板となる人気作家の連載作品が確保できなかったので、代わりに何か付加価値をつけようという苦し紛れの方策なのだろう。発行部数の方もそのあたりの苦しい事情を反映してか、マガジン、サンデーどころか少年キング(同時期の平均部数約40万部)の足元にも及ばない僅か10万5千部であった

 そんな前途洋々とは程遠い船出となったジャンプであったが、その後快進撃を続けて全盛期には創刊号の発行部数の60倍を超える653万部という前人未到の記録を打ち立てる事になるのは皆さんもご存じの通りである