黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

羽化へのプロセス

 以前当ブログで紹介した作品の1つにかずはじめの「MIND ASSASSIN」がある。同作品はジャンプに求められるような派手なエンタメ性に欠けた為に28話で終了してしまったが私好みの読ませる作品であった

 

shadowofjump.hatenablog.com

 

 なので、作者の新連載作品である「明稜帝梧桐勢十郎」が97年52号から開始された時は、また「MIND ASSASSIN」のような作品が読めると思ったものだ。が、いざ読んでみると両作品のギャップに少なからず戸惑いを覚えたのは私だけではないのではなかろうか。…とっくに「MIND ASSASSIN」を忘れていたという人も多そうではあるが

 さておき、ギャップを感じた主な原因は主人公の人格にある。「MIND ASSASSIN」の主人公である奥森かずいは強力な暗殺能力を持っているがそれを嫌悪し、相手が人の心や身体を壊し、中には命を奪うような悪人であっても能力を使うのを躊躇う繊細な善人なのに対し、「明稜帝梧桐勢十郎」の主人公である梧桐勢十郎は暴力も権力も使うのを躊躇わない、というか積極的に使う傍若無人な人物と、ほぼ真逆の人物像になっているからだ

 と言っても、別に「明稜帝梧桐勢十郎」が嫌いだとか悪い作品だとか言うつもりはない。両者は表向きは真逆ではあるものの、心の奥底には同じくらい強さと優しさが潜んでいるので読後感はそこまで別物に感じないからである。しかも、かずいはその性格故に行動を起こさせるには陰惨な事件が必要になるので話の雰囲気が暗くなりがちなのに対し、勢十郎は自分から積極的に行動して他人を巻き込んでいくタイプなのでドタバタギャグ的な展開に持っていきやすく、「MIND ASSASSIN」に足りなかったエンタメ要素も補えると考えればむしろジャンプ的には良い作品だと言えるのではないだろうか。それは「明稜帝梧桐勢十郎」の連載期間が「MIND ASSASSIN」の三倍以上もあった事からも明らかであろう

 ところで、作者が大きく飛躍を遂げた「明稜帝梧桐勢十郎」は連載作品としては「MIND ASSASSIN」の直後の作品にあたる訳だが、実は突然作風がガラリと変化した訳ではなく、その間に描かれた2つの読切作品を経て段階的に変化していったものだったりする

 

 そんな訳で今回紹介するのは両作品を結ぶミッシングリンクと言える2つの作品を含むこちらの作品集だ

 

 かずはじめ作品集1 遊天使

 

 

作者自画像(「MIND ASSASSIN」単行本より)

 

 収録作品は以下の通りで、いつものように初出も併記しておく

 

 遊天使       96年29号

 外道        97年3・4号

 神奈川磯南風天組  2003年31号~

 

 このうち「神奈川磯南風天組」は「明稜帝梧桐勢十郎」より後の短期連載作品で今回のテーマとは関係ない上、本単行本には全話が収録されていないので別に紹介する機会を設けるとして、今回紹介するのは「遊天使」と「外道」の2本である

 まず「遊天使」のほうであるが、父親が犯罪者、母親は夜の仕事をしている為に心が荒んでしまった少女の工藤聖良と、無垢だが特別な能力を持っている瀬ノ尾祐理とのラブストーリーである

 作品解説によると読切を描くよう持ち掛けられた時にはタイトルも話の内容も何も決まっていなかった状況から大急ぎで取り掛かった作品であり、聖良は「MIND ASSASSIN」で何度か描いてきたキャラクター(第1話に登場した山下夜志保が近いか)を、祐理は虎弥太をベースにしていると白状している事からもうかがえるが、「MIND ASSASSIN」の影響が強い作品となっている

 話の展開としては、ザックリ説明すると虎弥太のような性格とかずいのような殺傷能力を持つ祐理が危機に陥った聖良を助けるというものであるが、祐理が虎弥太やかずいと違ってアクティブに動くという違いがある。これは小さな違いではあるがその為に「MIND ASSASSIN」だったらもっと酷い目にあっていたであろう聖良がそうなるのを回避しているのだから、話の顛末に関わる大きな違いだとも言えよう

 そして「外道」の方は、タイトル通りに外道を主人公とした作品で、梧桐勢十郎とその一味が立ち寄った街で暴れ回るといった話だ

 主人公の名前から察せられるが、「明稜帝梧桐勢十郎」の元になった作品であり、勢十郎以外にも伊織、クリフという生徒会のメンバーも登場している。のだが、舞台が全然違って中世風の世界になっている為に勢十郎たちは生徒会員ではなく盗賊団員になっているし、勢十郎は登場シーンでいきなり人を殺しては高笑いするという具合でバイオレンスさはこちらの方が格段に上である

 作品解説によると、前々からこの手のキャラを描きたいという欲求があり、持ち込み時代のボツ作品には実際に描いた物もあったそうだ。しかし「MIND ASSASSIN」でデビューして以来その路線でやってきたからいきなり切り替えるのは勇気が必要だったし、「MIND ASSASSIN」が好きというファンを裏切る事になるのではないかと心配したという

 この葛藤を抱える漫画家は作者に限らず少なくないのではないだろうか。変更しないなら変更しないでマンネリとか言われ、変更したなら変更したで期待したのはこんなのじゃないと言われるリスクがあるのだから一種のギャンブルである

 そして路線変更に踏み切った作品の反応はどうだったかというと、タイトルと設定の変更はあったものの連載化されたし、上述の通り連載期間も「MIND ASSASSIN」の三倍以上続いたというのが答えであろう

 作者は漫画家人生を賭けたギャンブルに勝利したのだ