私事であるが、先日遅ればせながらコロナワクチンの1回目の接種を受けてきた。一時の猛威からすれば落ち着いてきたものの、コロナが流行してきてから一年半ほども続く窮屈な生活に精神が疲弊し、コロナに対してヘイトを募らせている方も多かろう
まったく、流行したての頃に流布していた、コロナウイルスは熱に弱いから夏には収束するなんて話は一体何だったのだろうか? アビガンが効くなんて話なんか最早無かった事になっているし
グチはさておき、今回紹介するのはそんな世相にピッタリなこの作品だ
身海魚(99年1号~12号)
田中加奈子
本作品の連載が開始されたのはジャンプの黄金期が終了してから二年半が経っており、黄金期の読者の中には本作品の事を知らない人もいると思うので先に断っておくが「深海魚」と書きたかったのに変換ミスしてしまった訳では無い。と言うか、「しんかいぎょ」を変換してもこうはならないし
作者は95年に「平妖三昧」でホップ☆ステップ賞佳作受賞、翌96年に同作品が増刊スプリングスペシャルに掲載されてデビュー。同年には「竜鬚虎図」で手塚賞入選を果たすと共に同作品が34号に掲載されて本誌デビューを飾る。その後97年43号に「クリーチャーズ」、98年8号に「コタンコロカムイ」と本誌で読切作品の掲載を重ね、99年1号から連載デビューとなったのが本作品だ
本作品は医学博士の凶嫪范が狂暴化するウイルスから人類を救うために造り出したサメ型の生物であるK-1号が、人体に入り込んでウイルスと闘いを繰り広げる医療?バトル漫画である
K-1号は体の大きさを10メートルからミクロサイズまで変える事で人体に入り込み、右腕をサメの頭部に変化させたゲヘナ・マウスや、硬質化させたヒレを利用したフカヒレギロチン、フカヒレパニッシュなどを繰り出して人体に巣食うウイルスを物理的に駆除するという、まさにコロナウイルスが蔓延している現在に求められる存在である。…まあ、K-1号は1体しかいないので駆除ペースはコロナ患者の増加ペースにはとても追いつかないだろうし、駆除して貰った患者は別に抗体が出来る訳でもないからまた罹患する可能性もあるだろうが、なんてリアルな考えは言ってはいけない
さておき、深い海の魚ならぬ身体の海の魚とタイトルに掲げている事からも、K-1号が体内を自由に泳ぎ回れるという事が本作品の大きなセールスポイントだと思われるが、あまり生かされていないというのが正直な感想である。というのも、体内の描写が非常に淡白なのだ
勿論、超拡大した上に俯瞰視点で体内を正確に描こうにも、そのような映像は現実には存在しないので無理な話ではある。しかし、そもそもがフィクション色の強い作品なのだから別に正確にこだわる必要はないし、むしろ現実にはあり得ないような景色を描いてもいいと思うのだが、本作品では波紋やあぶくなど液体の中であるような表現があるだけで、他はほぼ何も描かれていないのである。これではセールスポイントが視覚的に何も貢献していないと言わざるを得ない。しかも、K-1号は物語の開始早々強盗に撃たれて瀕死になった少年、諏訪大吉と合体するし、ウイルスの方も患者の体を乗っ取って暴れるので闘いの舞台は体内より体外の方が多いという本末転倒ぶりだ。また、ウイルスとのバトルも、バトル漫画の総本山と言えるジャンプの中では割とアッサリしており、作品全体として見応えに欠けるきらいがある
しかし、だからと言って本作品はつまらないという訳ではない。確かに見応えには欠けるかもしれないが、そのぶんK-1号のキャラクターを掘り下げており、読み応えは充分なのだ
元々K-1号は無理矢理ウイルス駆除をやらされているだけで人間に対する親愛の情も無く、自分の事しか考えないようなヤツであった。それが妹想いの心優しい少年である諏訪大吉と合体した事によって自身も大吉の妹である寿を大事に想うようになってしまった事にとまどい、また、実は自分自身がウイルスから存在であるという衝撃の事実を知ってしまって心が揺れ動いてしまう。このあたりの心理描写は流石手塚賞入選作家であり、思うに作者は本質的には絵で見せる作家ではなく物語で読ませる作家なのだろう
だが、あいにくジャンプ読者が求めているのは読ませる作家よりも見せる作家の方である。それは黄金期の二大看板である「DRAGONBALL」、「SLAM DUNK」を見ても明らかであろう(両作品が読ませる漫画では無いという訳ではないが)。結局本作品はジャンプの水が合わず10話にして連載終了、その後作者は翌2000年13号から「三獣士」の連載を開始するが、こちらも19話で終了となってしまう。そして同年50号に掲載された読切作品の「剣客ひょっこり厄三郎」を最後にジャンプという海から飛び出し、青年誌という新たな海に飛び込んだのであった