黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

黄金期終了後のジャンプを牽引した男

 前回の当ブログで、二十六年前の96年6月17日は「SLAM DUNK」の連載が終了したのと同時にジャンプの黄金期が終了した日だと述べた。であるならば必然的にそれより一週間後の本日、96年6月24日は黄金期終了後初めてのジャンプが発売された日となる

 ところで、ジャンプに限らず1つの連載作品が終了したなら代わりとなる連載作品が開始されるのが常であるが、「SLAM DUNK」が終了した次の号に連載が開始した作品は何であるかご存じだろうか? などと問われてもマニア以外は憶えていないだろう。かくいう私もこの記事の為に調べるまで憶えちゃいなかった。が、答えとしては憶えていなくとも、作品としては殆どの人が憶えている筈だ

 

 その作品とは藤崎竜の「封神演義」である

 

 古代中国の殷周時代を舞台にした古典怪奇小説の「封神演義」をベースにした同作品は、99年には「仙界伝 封神演義」としてTVアニメ化するなど人気を博し、黄金期終了後のジャンプを牽引した看板作品となった。…のではあるが、「SLAM DUNK」と比べると明らかにパワー不足に感じられ、それが看板を張っているという状態がジャンプの凋落を如実に語っており暗澹たる気持ちになったのは私だけではなかっただろう。とはいえ、それは比較対象が悪すぎるだけで、単行本の累計発行部数2000万超という数字は黄金期の作品でも達成できたものは数少ない上、18年には「覇穹 封神演義」として再度TVアニメ化する(出来はクソとしか言いようがなかったが)など根強い人気を持つ、ジャンプを語る上では欠かせない作品の1つだという事は間違いない

 

 そんな訳で今回紹介するのは「封神演義」の作者である藤崎竜が黄金期に連載していたこちらの作品だ

 

 PSYCHO+(92年51号~93年11号)

 藤崎竜

作者自画像

 作者は90年に「ハメルンの笛吹き」で手塚賞佳作受賞、同年に「WORLDS」で準入賞を果たし、増刊ウインタースペシャルに掲載されてデビューを飾る。その後91年スプリングスペシャルに「TIGHT ROPE」を掲載、同年45号には「SHADOW DISEASE」で本誌初登場。そして92年スプリングスペシャルに「SOULofKNIGHT」を掲載後、同年51号から本作品で連載デビューを果たしたのであった

 早速作品の内容に触れる前にまずはカバーを外した表紙を見て頂きたい。何か違和感を感じる部分がないだろうか

 RYU FUJIZAKI

 そう、ふじきりゅう、なのである

 

 これを見て「マジかよ、フジリューって今までずっとふじさきりゅう、だと思ってたけど、実はふじざきりゅう、だったのか」と勘違いに恥じ入っている方がいるかもしれないが安心して欲しい。本作品の頃はふじざきだったが、「封神演義」の頃にはふじさきに変えているので勘違いではないのだ

 さておき、本作品は綿貫緑丸と、「電脳少女」の異名を持つ水の森雪乃との交流を描いたボーイミーツガール漫画である

 緑丸はその名の示す通り生まれつき髪の毛と目の色が緑色という外見から人々から奇異な目で見られコンプレックスを抱いていた。ある日、緑丸が日課である早朝の散歩をしていると、誰もいないと思った公園でゲームをしている雪乃と出会い、コンプレックスである緑色の髪を奇麗だと言ってくれた彼女に惹かれてしまう。だが、そんな雪乃は自分に言い寄ってくる男たちに試験と称してゲーム対決をしては退けるという毎日を送っていた

 自分もゲーム対決に勝てば雪乃を恋人に出来るのだろうか。でも、こんな自分の恋人なったら彼女まで奇異の目で見られてしまう。いや、それより今のところは負け知らずだが、いつまでも続かないだろう。思い余った緑丸は彼女にそんな事をやめさせようと、中古ゲーム屋で見つけたPSYCHO+というゲームで対決を挑む事に。しかし、実はそれはただのゲームではなく才能を持つ者に超能力の訓練を施す道具だった

 とまあ、そんな感じで緑丸はPSYCHO+を通じて雪乃との仲を深めつつ、超能力を高めていくのだが、私が初めて本作品を読んだ時は正直話に興味も持てず「なんかオタク臭い漫画だな」という程度の感想であった。超能力の訓練の為のゲームという「マインドシーカー」から着想を得たと思われるアイデアからしてマニアックだし、絵柄は雑誌のイラスト投稿コーナーに載っているようなタッチ、キャラの言動は80年代サブカル漫画のようで作品を通して作者の趣味が透けて見えてしまっている。それは現代ならともかく黄金期のジャンプにはそぐわないものであり、読者の支持が得られず11話で終了してしまったのも無理のない話である

 ここからは余談であるが、ぶっちゃけそういうオタク的雰囲気は「封神演義」でも少なからず感じられたものである。にも関わらず、片や大ヒット、片や11話で終了と両極端な結果になった理由としては原作の有無が挙げられるだろう。実際「封神演義」以降の作者の作品を見ても連載が長く続いたものは「屍鬼」に「銀河英雄伝説」と悉く原作付きの作品であった。反面、原作なしの作品は「封神演義」の次回作という事で編集部も読者も大いに期待していたであろう「サクラテツ対話篇からして19話でアッサリ終了してしまうなど全体的に奮っていない

 これは単純に話作りが上手くないとも言えるが、オリジナルだと作者が入れ込み過ぎて空回りしてしまって読者に上手く伝えられずにオタク臭さが悪目立ちしてしまうという面も見られる。リアルで例えるなら、オタクが自分の好きな事を語ると熱が入って早口でまくし立てるので周りは共感するどころかドン引き、みたいな

 …書いていて自分もその傾向が無くもなく胸が痛くなったので今回はここまでにさせて頂く