黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

奇跡の軌跡

 今から二十六年前、96年の今日6月17日は「SLAM DUNK」の連載が終了した日、つまり、当ブログで規定する所のジャンプの黄金期が終焉を迎えた日である。そこで今回は黄金期を振り返る事が出来るこちらの著書を紹介したい

 

 「少年ジャンプ」黄金のキセキ

 後藤広喜

 

 著者は70年、集英社に入社と同時にジャンプ編集部に配属。当時のジャンプはその前年にようやく週刊化を果たしたばかりで、著者とその同期であるアデランスの中野さんこと中野和雄が新卒で編集部に配属された初の人材となる。その後81年に副編集長に就任、86年には第4代編集長となり、93年に堀江信彦にバトンタッチするまでの七年間、ジャンプの指揮を執り続ける。編集長を退任した後は同社取締役に就任。02年にはグループ会社である創美社に出向、その後代表取締役に就任して12年に退職。そして18年、ジャンプ創刊五十周年という節目に著者が編集部に在籍していた時代を振り返った本著が出版される事となる。ジャンプの黄金期が約十一年半であるから、その大半の時期においてトップに座り続けていた人物である著者は、誰よりも黄金期ジャンプについて語るのに相応しい人物だと言えよう。因みに本著によるとジャンプの黄金期は85年1号で始まり95年1号で終わる十年間となっており、著者の立場からしてオフィシャルに近い定義だとも言えるが、当ブログでの定義は変更しないでおくものとする

 そんな本著は著者が編集部に所属していた頃(±数年)のジャンプを創刊誕生期、飛躍期、常勝期、黄金期と4つに分け、各時期を編集部で起きた出来事やその時期を代表する連載作品の解説をまじえて振り返るといった内容になっている

 そのうち、各時期を代表する連載作品の解説については、正直ジャンプとなんの縁もない評論家が書いたものと大差ないありきたりな感じがするが、自分が担当した作品については非常に臨場感があって興味深く読める。難点は担当作品が平松伸二作画、武論尊原作の「ドーベルマン刑事」など、黄金期よりかなり前の作品ばかりなところだが、81年には副編集長になって現場の最前線から離れているのだから仕方がない

 中でも特に熱が入っているのは中島徳博作画、遠崎史朗原作の「アストロ球団」の解説で、毎号のように深夜まで打ち合わせをし、それでも結論が出ない時は徹夜で考えさせて早朝にチェックしに行き、ある時にはネームが不満で中島徳博の頭をトレーシングペーパーで殴りつけたというエピソードなどには狂気を感じる。その結果、中島は頭に瘤が出来、手がグローブのように腫れ上がるという心因性の病気を患い、因果関係は不明であるが連載終了後には脳内出血で倒れる事になってしまう。まさに命を削るような思いであり、そこまで追い込んでしまった著者の後悔は尽きない。今では絶対に許されない行為であるものの、当時ではそういう事が常態と化していたので著者を責めるのも酷というものだが。昔の漫画家に早世する者が多かったのも無理のない話である

 もう1つ興味深かったのは、ジャンプ史の中でも最大級の謎と言えるF1マクラーレンホンダチームのスポンサーになった経緯が描かれている事である。それによると最も積極的だったのはジャンプでもマクラーレンでもなく、500万を超えるジャンプの読者に名を売りたいホンダだったという。ただ、池沢さとしの「サーキットの狼」の解説に関連付けて軽く触れただけなので、1億円超とも噂されたスポンサー料が実際いくらだったかとかもう少し掘り下げて欲しかったという気もする

風吹裕矢の画像が無かったので代わりに早瀬佐近の画像を


 ところで、元編集長がジャンプの内情を述べる著書と言えば、著者の先代に当たる西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」があるが、そちらがちょこちょこ辛辣な言葉が見られるのに対し、本著は出版元が集英社であるという事からか、はたまた著者の性格故か、全体的に穏当な表現となっている

 その一方で、例えば悪名高き専属制に対しては、明らかに好感情を抱いていないのに自分がトップになってからも結局廃止させなかった事もあってか、なんとも歯切れの悪い説明になっているところなど似ている部分も少なくない

 特に顕著なのは、ジャンプの軸となるのは友情、努力、勝利という三大ワードを体現した熱い男の漫画であるという信念からくるラブコメに対する忌避感で、「電脳少女」に関して述べる項で担当編集者との会話を引用する形でこれはラブコメではなくラブストーリーだと苦し言い訳をするところなどは、「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」内で「キャッツ♡アイ」や「ストップ‼ひばりくん!」を少なくともラブコメの範疇には入らないと思うと言い訳した西村とそっくりで微笑ましい。だとしても、結局熱い男の漫画ではないだろうに

 

 そんな著者と共に隆盛を極めたジャンプだが、編集長の座を堀江信彦に譲った93年秋以降激動の時代を迎える事となる。翌94年末には653万部という前人未到の記録を達成するが、95年には「DRAGON BALL」の連載終了の影響で588万部、更に「SLAM DUNK」の連載が終了した96年には495万部と坂を転げ落ちるように部数を減らし、97年には71年以降守り続けた発行部数トップの座をマガジンに明け渡してしまう

 その後、トップの座は奪回するものの部数減は留まるところを知らず現在では150万部にすら届かない有様であるのを見ると、ジャンプの黄金期は本著のタイトルの如く奇跡の産物だったのかもしれない