黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

伝説のトラウマ作品とその舞台裏

 ジャンプ作品がどれだけ読者の記憶に残るかは基本的に連載期間の長さに比例するものである。何しろアンケートで高く評価された作品=読者の注目を集めた作品ほど長く連載されるし、ずっと読者の目に触れられる事で、より読者の記憶に深く刻まれるのだから。なので、悲しい事だが短期終了作品は元々読者の注目度が薄い上に読者の目に触れられる期間が短いので、記憶に残っていないという場合も少なくない

 そういう理屈だと、今回紹介する作品は僅か10話で終了しているので、あまり憶えている人は多くないと言えるのだが、おそらくこの作品に関しては例外で、多くの人が憶えていると思う

 その作品とはこれだ

 

 メタルK(86年24号~33号)

 巻来功士

 

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 それともう1つ、作者は後にこんな作品を描いているのをご存じだろうか

 

 連載終了!

 イースト・プレス

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 これは作者が漫画家としてデビューする以前から、自ら申し出てジャンプの専属契約を解消するまでを描いた実録漫画で、「メタルK」の誕生から連載終了に至るまでの事情も詳しく描かれているので併せて紹介したい

 まずは作者が「メタルK」の連載を開始するまでの経緯を「連載終了!」の内容に沿っていつもより詳しく紹介して行こう

 作者は小学生の頃には既に自分は漫画家になると決心しており、高校1年の時にはフレッシュジャンプ賞の最終候補に残るなど早くもその片鱗を見せていたが、その後大学に進学して講義もそっちのけで留年してしまう程のペースで漫画を描き、様々な出版社の様々な賞に応募し続けるも、最終候補どまりになってしまう事が多く、やっと小学館から月2回刊行していたマンガくんの賞で佳作を受賞したと思ったら程なくマンガくんが休刊してしまうなど、なかなかデビューのきっかけを掴めないでいた

 一方、同じ大学の同期には、あの北条司がおり、作者がもがいているのを尻目に在学中に手塚賞準入選を果たし、アッサリと連載デビューまで決めてしまう。それに対抗心を抱いた作者は漫画に本腰を入れようと大学を中退して上京する事を決意したのであった

 

shadowofjump.hatenablog.com

 

 …と作中では描いてあるのだが、作者のインタビュー記事等、他で調べた情報と比べてみると違う部分が若干見られる。大学名なども配慮の為か変えてあるし、どうやら実録と言えども漫画としてまとめる為に若干改変しているようなので、そこのところは留意して頂きたい

 あてもなく上京してきた作者だが、早々にチャンスを掴む事になる。当初は大学時代に一度自宅まで訪ねてきた編集者がいるサンデー編集部に原稿を持ち込もうと小学館のある神田まで出てきたのだが、その日は持ち込み可能日ではない事に気付いてそのまま帰ろうとした途中、少年画報社の前を通りかかったので、せっかくだからと少年キング編集部に原稿を見てもらったところ評判がよく、81年村田光介名義の「ジローハリケーン」でアッサリ連載デビューを果たしたのであった

 尚、それと同時期には前述の小学館編集者からコロコロコミックの編集者を紹介され、誘いも受けていたが、キングの連載話があったので結局断る事にしたという。もしこの時作者がキングではなくコロコロを選んでいたらと思うと興味深い。まかり間違えればあの「メタルK」がコロコロで連載されたという未来もあり得たのだ。…いや、ないだろうが

 「ジローハリケーン」は翌82年に連載終了するものの、続けて「ローリング17」の連載を開始。作者の前途は洋々と思えたのだが、その矢先、キングが休刊するという思いがけない事が起きてしまう

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 これで漫画家としての基盤を失った作者は投稿及び持ち込みの日々に逆戻り。例によって最終選考止まりを何度も経験しながらも持ち込み先の1つであるジャンプ編集部に認められ担当編集者がつけられた。そしてフレッシュジャンプ83年9月号に「サムライR」が掲載され、これがアンケートで2位を記録し、連載の話が持ち上がる事になる。因みに最初についた担当は、何の因果かあの北条司の担当でもあり、後にジャンプ第5代編集長となる堀江信彦だった

 

 ところで、当ブログで紹介してきた作品の作者の多くはジャンプの所謂純血主義政策の為、手塚賞やホップ☆ステップ賞などジャンプ系のコンテストで入賞し、ジャンプ系以外で掲載経験の無いまま連載に至るというケースが多い。それに比べてなんと波乱万丈の漫画家人生ではないか。そして、それ故に作者は独立心が強く、ジャンプの文化に馴染む事が出来ずに苦悩したという

 作者は臨時で原哲夫のアシスタントを務めた後、83年51号でついにジャンプで連載を開始する事になる。そのタイトルは「機械戦士ギルファー」。だが、この作品は作者の本意ではなかった。というのも、てっきり「サムライR」が連載化されると思っていたのに、編集から提案されたのは当時ジャンプで主催していた原作賞である梶原賞受賞作品の漫画化であったからだ。しかもこの原作は、賞を取らせた手前、漫画化しなければならないけど誰も引き受け手がいなかったいういわくつきの作品で、いわば厄介ものを押し付けられた訳である

 それでも許される限り原作を改変してなんとか形を整えて連載にこぎつけたが、ただでさえ望まぬ原作付きでモチベーションが上がらないのに、加えてアシスタントは素人同然で自分の負担が重い。更に途中でいきなり担当編集者を代えられるなど環境にも恵まれないとくれば充分な力を発揮する事も出来ない。結局「機械戦士ギルファー」は僅か10話で連載終了となってしまうのであった

 …おっと、今回は「メタルK」の紹介をすると言ったのに、その前段階で予想外に長くなってしまった。なので、看板に偽りありかもしれないが、今回はここまでにして続きは次回とさせて頂きたい