黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

ジャンプで連載を持つという事の難しさ3

 さて、前回、いや、前々回では、ジャンプ本誌に作品を掲載された経験があるものの連載を持つまでには至らなかった者を、①連載は持てなかったが単行本は出版された者、②ジャンプでは連載を持てなかったが他誌で連載を持てた者、③どこでも連載が持てず単行本も出版されずに姿を消した者の3つに分け、①のケースに該当する者を紹介した。という訳で今回はその続きである

 

 まず②のケースであるが、ジャンプに作品が掲載される事自体、他誌よりもはるかに高い競争率をくぐり抜けて来なければ出来ない、即ちその時点である程度の才能が備わっているという事だ。なので、ジャンプで連載を持つのは無理でも他誌でなら、というのは充分に考えられる事で、このケースに該当する者は10人程度いる。中には該当するかどうか判断に悩むケースもあったのでキッチリ人数を出せないが

 そんな中からまず1人

 南寛樹

 作者は95年に「おやじのゲンコツ」で赤塚賞佳作受賞、翌96年16号に掲載される、と同時期に南ひろたつ名義でサンデーまんがカレッジ努力賞を受賞し増刊サンデーにも掲載されている。名義を変えているのはジャンプの専属契約に触れるからなのだろうか。その後ジャンプでは98年45号に「コンチク笑ゥ‼」、99年2・3合併号に「MADDOGS」が掲載されるが連載には至らなかった一方で、サンデーでは97年4号から「もぅスンゴイ‼」の連載を開始、同作品の終了後、99年16号からは「漢魂!!!」の連載を開始している

 私はジャンプに掲載された読切作品に関しては憶えていないが、サンデーに連載された両作品の事は当時結構サンデーを読んでいたので憶えている。なんと言うか、読者が100人いるならその内の数人はドハマりするけど、大半はつまらないと感じるようなニッチ向けの不条理ギャグ漫画だ。まあ、両作品に限らず不条理ギャグ漫画はそういうものではあるが。因みに私は大半の方に分類される読者で、ほぼほぼ読み飛ばしていた。そしてニッチ向けではアンケート至上主義のジャンプで連載を持てないのも当然の話と言える

 

 そしてもう1人

 戸田邦和

 

 作者は「ROUND」で91年手塚賞準入選、同年増刊サマースペシャルに「ONCE AGAIN」と2本同時に掲載されてデビューを果たす。更に「闘志が一番!」がウインタースペシャル、「てやんでいっ!」が翌92年サマースペシャルに掲載された後、高橋陽一のアシスタントを務めるようになり、「CHIBI」や「キャプテン翼ワールドユース編」の執筆を手伝っていたという。そして94年25号にスポーツライター木村公一原案でメジャーリーガーのマック鈴木の伝記的な話である「MAX マック鈴木の挑戦」で本誌初掲載を飾る事になる

 その後、本人がインタビューで語っていたところによると、アシスタントを続けながらジャンプで連載を持つべくネームを作っていたが、その中の自信作を担当編集者に見せたら作風がまったくジャンプ向けでは無かったせいか「なんでこんなの描いたの?」と小一時間ほど問い詰められたという。なので、知り合いのつてで他所に持ち込んだら評価され、それがチャンピオンで連載が始まった「RAIN DOG」になったそうだ。尚、余談であるが、作者は連載を持ってからも高橋陽一との縁は続いており、かの「キャプテン翼」のリメイク作品である「キャプテン翼 KIDS DREAM」の作画担当として最強ジャンプ18年5月号から連載を始める事になるのであった

 

 そしてもう1人は②のケースに該当すると共に①のケースにも該当するという特殊な例、つまりジャンプで連載を持つ事は出来なかったがジャンプブランドの単行本は出版され、その後他誌で連載を持つ事が出来たというケースだ

 死神に乾杯

 富沢佑

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画像は電子書籍版です

 作者は85年に「放助」で手塚賞佳作受賞、87年増刊オータムスペシャルに表題作である「死神に乾杯!」が掲載されてデビュー。翌88年37号にタイトルが同じ「死神に乾杯!」が掲載されて本誌初登場を飾る。また同年にはファンロードの第1回ファンロードコンテストにて「逃げ水」で入賞している。結局ジャンプ本誌では1本しか掲載されなかったが、富田安紀良と名義を変えて96年からビジネスジャンプで「ほっといてよ!まま」の連載を開始すると、これがTBSドラマの愛の劇場枠で「ママまっしぐら!」のタイトルを変え芳本美代子主演で3度にわたってドラマ化されるヒットとなる。そして現在は富田安紀子名義でも活動しているようだ

 単行本の内容は、表題作が主人公の前に現れる死神が実は美女だったというラブコメに人情噺を加えた感じで、「放助」も収録されているがこちらも人情噺風だ。また、私は未読だが代表作である「ほっといてよ!ママ」が所謂昼ドラ化されている事からも作風はジャンプ向けでは無いと言える。ジャンプ読者が昼ドラを見る事なんてほぼ無いだろうし

 ところで気になったのは、富沢佑というペンネームに加え、単行本の解説漫画に登場する本人の見た目が男か女かわかり辛い(しかも一人称はオレである)のは、ジャンプの読者層を意識して性別を隠す意図があったのだろうか。後にジャンプで連載を持つ事になるかずはじめや樋口大輔も女性なのにそんなペンネームだった事も考えると穿ち過ぎでもないと思うのだが

 

 最後に③のケースで、これに該当する人物が一番多いのだが、連載経験も無く単行本も出版されていない人物となると、これまでの2ケースにもまして情報が少ない。また、私もさすがに読切が掲載されただけの作者及び作品については記憶が無く、ジャンプのバックナンバーを保管していないので読み返す事も出来ないので語るべきものが無いというのが正直な話である

 そんな中で唯一私の記憶に残っているのが第2回GAGキングに輝き、91年6号に掲載された小島茂之の「拳闘王ゴッドフェニックス順平」だ。と言っても記憶は結構あやふやで、作者を同じ回の特別賞を受賞したうすた京介と混同して、「セクシーコマンドー外伝すごいよ‼マサルさん」の連載が開始された時に、『あの「拳闘王ゴッドフェニックス弾平」(タイトルも微妙に間違えて憶えていた)の作者がついに連載を持ったか』と勘違いしたという適当さだが。なので、内容の方も間違って憶えているかもしれないが、順平と後輩にして宿敵であるキングファンシー徳野との戦いを描いたボクシングギャグ漫画だったと思う

 作者は第2回GAGキングだけあって編集者の期待も高く、同年15号に「平凡太郎の奇跡」、更に18号に「ド真面目!サラリーマン教師」と立て続けに読切が掲載されたが、審査員や編集部ほど読者には評価されなかったのか連載を持つには至らず、準キングだったつの丸の方が連載を持ち成功するのだから、やはりギャグマンガの評価は難しい

 

 その他の作品となると、この記事の為に作ったジャンプ黄金期に掲載された読切作品のリストを見返しても全くピンとこなかった。例えば90年の23号と24号の2号にわたって白樺啓の「ピエロのしんちゃんがドバドバ」という作品が掲載されたのだが、こんなにインパクトのあるタイトルにもかかわらず何一つ思い出せるものがない有様である。同じく90年では7号にジョン・M・陸克の「RUSH BALL・REMIX」という作品が掲載されているがこんな特徴的なペンネームなのにやはりサッパリ記憶に残っていない。しかもこれは滅多に出ない事で知られる手塚賞の入選作品にも関わらず、よほどアンケートが芳しくなかったのか、作者は以後一度も作品が掲載されずじまいだ

 長くなるのでこれ以上は挙げないが、他にも各漫画賞の受賞者が当たり前のように一度きりで姿を消す事もまま有り、改めてジャンプで連載を持つという事が如何に難しいかを改めて思い知らされた次第である