黄金期ジャンプの影

主にジャンプ黄金期の短期終了作品について語ります

モンスターハンターだけではない ジャンプの狩人たち

 さて、当ブログでは前回「モンスターハンター」を紹介したが、今回紹介するのもハンターと名のつく作品である。あ、先に断っておくと「HUNTER×HUNTER」ではない。アレは黄金期の作品でもないし短期終了作品でもないので…と言いつつ、実は紹介する作品も黄金期の作品ではないのだが

 それはこの作品だ

 

 妖怪ハンター(74年37号~41号)

 諸星大二郎

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文庫版「孔子暗黒伝」より

 作者は70年に虫プロ商事が発行する雑誌COMの読者投稿コーナーであるぐら・こんで「ジュン子・恐喝」が入選、掲載されてデビュー。当時は諸星義影名義であった。諸星大二郎名義としては73年に漫画アクション増刊に「不安の立像」で初掲載される事となる。74年には「生物都市」で第7回手塚賞入選、同年31号に掲載されてジャンプデビュー。因みに同作品は入選作が滅多に出ない事で知られる手塚賞の審査員の殆どが推しただけでなく、あまりの完成度の高さに既存の作品を下敷きにしたのではないかと疑われたというエピソードがある。そして同年36号に読切作品「浸食都市」を掲載、なんと次号の37号には早くも本作品の連載が開始されてしまう

 それにしても、ジャンプ(姉妹誌含む)初掲載から連載を開始するまで僅か一月半というスピードは異常である。比較対象として当ブログで紹介した作品の作者で手塚賞入選者は88年の第35回で同時入選を果たした成合雄彦、浅美裕子の2人がいるが、成合雄彦は入選作である「楓パープル」が本誌に掲載されたのが同年の32号、「カメレオンジェイル」の連載が始まったのが翌89年の33号と連載を勝ち取るまで一年掛かっているし、浅美裕子に至っては「ジャンプラン」の掲載が31号、「天より高く!」の連載が開始されたのが91年40号と三年以上も掛かっているのだ

 まあ、これについてはそれだけ作者の評価が高かったというよりも、時代の影響があるだろう。何せ本作品の連載が開始された74年はジャンプにとってどんな状況だったかというと、前年に発行部数でマガジンを抜いてトップに立ったとはいえまだまだ混戦で、頭一つも抜け出せていない状況であった。なので他誌を引き離す為に有力な漫画家が必要なのだが、専属契約制のおかげで既に実績のある漫画家はジャンプで執筆して貰えない。だから早急に有望な新人を発掘しようという思いはそれ以後に比べてかなり切実なものがあった事だろう

 

 そんな本作品は、学会を追放された異端の考古学者である稗田礼二郎が日本全国を巡りつつ、各地に残された伝承と現在起きている怪奇現象を調査する怪奇漫画である

 そう、ハンターと銘打ってはいるものの、稗田は物理的にハントする訳では無い。基本的には調査して原因を解明するのが目的であるので自分から積極的に妖怪に立ち向かおうとはしないし、立ち向かわざるを得なかった時も派手なバトルがある訳でもない、と言うか、そもそも妖怪と呼べるような怪異が出てこない話もあるので、タイトルからそういう想像をした人にとっては肩透かしを食らうかもしれない

 だが、物語としての面白さは掛け値なしである。古事記を始めとした古史古伝を引用して独自解釈しつつ、それに架空の書物、言い伝えの一節で補強した話は異様にして説得力充分だ。あまりそちらの知識に欠ける私なんかはどこまでが本当の話でどこからが作り話か判別がつかない程で、もし漫画ではなく活字の本として出版したなら、下手なオカルト本よりも信じてしまう人が多そうである

 そしてその異様な話を更に異様な雰囲気に仕立て上げるのが作者の独特な画風だ。かの手塚治虫をして「諸星さんの絵だけは描けない」と言わしめたその絵柄は日本画のような趣があり、作品の和風ホラー感を際立たせている

 

 と、魅力満載の本作品なのだが、僅か5話で連載が終了と相成ってしまい、売れないと判断されたのか単行本の発売は見合わせられる事となってしまう。結局本作の単行本が発売されたのはなんと78年になってからで、当然ジャンプスーパーコミックスレーベルでの発売であった

 しかし、この結果は残念であると同時に当然だとも言えよう

 本作品は確かに面白いのだが、それは英語で言えばInteresting、即ち興味深いという意味の面白さであり、少年漫画誌に求められるタイプの面白さではないのだ

 その為、作者は高橋留美子庵野秀明宮崎駿などといった名だたる面々に多大な影響を与えた一方で、ジャンプで連載された作品はその後も「暗黒神話」が全6話、「孔子暗黒伝」が全10話と短命に終わり、異例のスピード連載デビューを果たしたにもかかわらずヒットといえる作品が出ぬままジャンプを離れる事となってしまう

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 その後、ジャンプはバトル漫画を中心にして前人未到の650万部超を記録するまでに至り、そして作者は青年誌を中心に活動するようになって本領を発揮、2000年には手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞、昨年にはNHKEテレ「浦沢直樹の漫勉neo」で採り上げられるなど広く知れ渡るようになるのだから、作者とジャンプとの別れはお互いにとってプラスだったのだろう